医療法人中野会中野医院

医療法人中野会中野医院院長 中野俊二(宮崎市)
ダイナミクス電子カルテシステムから電子カルテ【ドクターボード】+サンヨーレセコンシステムに移行導入された医療法人中野会中野医院様のインタビューです。
初代院長中野拓が1963年2月1日に開院したのは現在の山形屋デパート東隣、今では立体駐車場建設地となった場所です。
私が小さいころは院内に入院患者さん、看護婦さん、私ども一家が同居していました。以来44年の歴史を持つ中野医院は山形屋北に1992年に移転しました。
入院施設などはございませんが、九州で2番目の赤アザ治療センターとなりました。
その後も子供たちのアザ治療を中心とした皮膚外科治療を中心に一般皮膚科と泌尿器科を併設、現在では積極的に美容皮膚科診療を行っています。
新しい情報を得るためにアンテナを日本ばかりでなく世界にむけ、常に最先端医療を取り入れる努力を続けています。少しでも私どもが社会に貢献できることを願ってやみません。
医療法人中野会中野医院 ホームページ
http://www.clinic-nakano.com/
電子カルテ導入と入れ替え騒動
カルテの膨大に伴う事務処理上のトラブル

1993年から父を継承して皮膚科の開業生活に入りました。
1963年開院ですので、固定患者も多く、カルテは膨大。患者数は年間延べ5万人程度、カルテの分厚い方もおられます。
外来カルテ棚の整理目的で2年に一度、年始に行うカルテの書き換えもかなりの時間を要します。3年に一度に変更しましたが、図書館の如きカルテ棚から1部抽出するのに時間がかかります。
事務処理上では医師の点数のつけ方に受付がうまく連動できず、窓口負担の間違いやトラブルもある頻度で生じます。
外来が混み合う時間帯は診療と会計事務が一向に進みません。
やむを得ず、受付人数、看護士人数を大幅に増やしてみると、休憩室一人当たりの占有面積が狭くなるためか(?)、派閥争いや個人攻撃なども散見。医師の前でだけ懸命に働く女性も登場。全体に良くない方向に進んでいきました。
電子カルテの当初導入。しかし。。。
患者さんが去った後までパソコンに向かいブツブツ言うなんて…。
そこで、患者サービスの改善、スタッフの選抜と診療効率の向上を目指し、電子カルテの導入に踏み切りました。
電子カルテは運用費用の極めて廉価なダイナミクスです。幸い、PCお宅の男性スタッフが私の秘書をしていたお陰で技術的な問題はある程度クリアー。私と若手医師2名の計3名で2004年4月から紙カルテを電子カルテに一気に移し変えつつ一般治療を進めました。
当初はダイナミクスのチェック項目の多さに辟易、キーボードで全てを入力と終了するのには眼精疲労と指関節疲労です。全く慣れません。当初の1ヶ月はまさに地獄。意地でも引かず、さりとて進まずの状態は、まさに前門の狼、後門の虎です。音声入力も考えましたが、患者さんが去った後までパソコンに向かいブツブツ言うなんて…。
さらに、皮膚科にもかかわらず絵が簡単には書けないので、基本的な記載皮膚科学となります。
最終的にはダイナミクスを使い易くカスタマイズするのに数ヶ月を要し、3年経つと便利になりました。受付サイドとの連携もうまくいきます。
しかしながら、ダイナミクスは全国の医師が創意工夫して作り上げるバルセロナのサクラダ・ファミリア教会の如き存在です。刻々と作成される新しい手順マニュアルが次々に生み出される生き物のようなカルテですので、教会同様、永遠に完成像はないに違いありません。毎日、我が子のように面倒を見続けなければ運営できません。
メモリーにも限界があり、データが増えると徐々に機能が落ちることも判明してきました。専属のマニアがいなければ数十年先までの運営は困難です。
自筆で文字も絵も描ける
”ドクターボード”との巡り会い

なんとしても絵が描けて、操作がシンプルで、院内に専門家がいなくても極端に困らない電子カルテはないのか。
私たちはドクター・ボードに巡り会いました。任天堂DSの最高級ソフトとでも思うと想像しやすいかと思います。使い方が異常に簡単でしたのでデモ日に導入決定となりました。
自筆で文字も絵も描けます。このよく考えられた電子カルテもやはり生き物でしたが、皮膚科バージョンに改編してもらいながら仕上げるステップは至極シンプル、且つ、順応しやすいPC環境です。カルテ数に左右されずスピードも落ちません。
ほぼ、数週間で作業環境に順応することが可能です。強烈な熱意を持ったプログラマーと個性的なスタッフに支えられたドクター・ボードは、常に使いやすく、さらに効率的な電子カルテへと発展すると信じて止みません。日本電子カルテ標準となると確信しつつ、医療の効率化と会社の発展を祈念しております。
医療法人中野会中野医院
施設概要